ライオンズクラブとは ~Lions Club~
Lions Club
ライオンズ・クラブは社会奉仕を目的とした団体ですが、単なる寄付団体ではありません。私たちの行動を通して社会に投げられた一つの石が次第に波紋をひろげ、社会の人々に善意の心の美しさというものを呼びおこし、その社会全体が奉仕と友愛に生きるよう、誘い水となるのが、ライオンズ・クラブの目的です。だから私たちが生活する社会をはなれて、善意のおしうりをする団体で はありません。社会の人々の共感を得てともに活動する団体です。
スローガン
Liberty,Intelligence,Our Nation’s Safety
(自由を守り、知性を重んじ、われわれの国の安全をはかる)
モットー
We Serve
(われわれは 奉仕する)
ライオンズの誓い
われわれは知性を高め、友愛と相互理解の精神を養い、平和と自由を守り、社会奉仕に精進する
ライオンズ・クラブの名前の由来
百獣の王ライオンのもつ勇気・力・誠実・行動をクラブの象徴としていると同時にライオンズ=LIONSとはLiberty,Intelligence,Our Nations Safety(自由を守り知性を重んじ私たちの国の安全をはかる)の頭文字を綴っています。ライオンズは、立派で強くて勇猛な動物たちであるというよりはむしろ、偉大な行動を高い理想で行う人々という意味をもっています。
ライオンズ・クラブ発祥の地
今世紀初め、アメリカにメルビンジョーンズという人物がいました。彼は商売のためや社交のための単なる集まりではなく、社会のためになにか有益な団体ができないものかという夢をいだき、その夢を実現するためアメリカ国内の各種団体に呼びかけて社会奉仕団体結成に着手し、ようやくシカゴ市で12名の同士がまとまり、ついでダラス市で22クラブの代表による第1回大会が開催されて正式にライオンズクラブ国際協会の名称が採用されました。時に1917年10月8日のことでした。ここにライオンズクラブはその輝かしい出発をしたのです。
ライオンズ・クラブが日本に生まれた事情
日本にライオンズ・クラブが生まれたのは戦後です。戦後占領が終わった1952年3月5日、フィリピンのマニラ・ライオンズ・クラブの努力によって日本にはじめて東京ラインンズ・クラブが誕生しました。以来20年の間に全国各地に多くの会員の参加を得てめざましい発展をとげ、現在では、アメリカに次ぐ世界第2位の会員数を擁するまでに成長しています。
ライオンズ・クラブの活動や事業内容の紹介
ライオンズ・クラブは奉仕活動が中心ですが、それを効果的に企画・実行するために各種の事業委員会を設けています。代表的なものとしましては、社会的な援助を必要とする人々の福祉と厚生のために視力保護盲人福祉委員会や聴力保護ろうあ者福祉委員会などが設けられており、また、地域住民の健康維持と増進のために保健委員会・公衆安全委員会・環境保全委員会などが設けられています。さらに一般的な地域社会の向上のために市民委員会なども設けられています。
奉仕にかかる必要な資金源について
ライオンズ・クラブの会員は一定の会費を納めていますが、これはクラブそのものの運営費にあてられますから、奉仕活動のその都度それにふさわしい方法でつくられます。ある奉仕にどのような資金造成がよいか会員の英知が集められて決められます。ある時はバザー、ある時はチャリティーショーというように。また、ある時は会員の個人的な慶び事の記念としての献金など、とにかく、ただ単純に会員が金をだしあうことはまずありません。資金造成事業そのものが即奉仕活動ですから、資金づくりの段階からライオンズ・クラブの精神が生かされているわけです。
活動してのよろこび
入会すると、会費を払い労力の奉仕、例会出席の義務などたしかに強制されるものを感じないわけではありません。しかし人間の一生は地位やお金だけのものではありません。私たちの住む社会は私たちみんなで構成しているのですから、みんなで住みやすくすべきです。それには1人よりは10人、20人の力の方がよりよい成果をあげられます。ともすれば私利私欲と利己主義に走りがちな風潮のなかで、自分の生活は、他人の生活をも含めて、はじめて成り立っているのだということを、事実で示す活動が、ライオンズ・クラブの奉仕であり、世の中のために奉仕がすすめられる、そこにライオンズ・クラブの会員としてのよろこびがあります。
スポンサークラブ
ライオンズクラブ国際協会337-A地区1R1Z
北九州ライオンズクラブ(旧名:小倉ライオンズクラブ)
姉妹クラブ
イオンズクラブ国際協会336-C地区3R1Z
尾道因島ライオンズクラブ(旧名:因島ライオンズクラブ)
新年度三役・副会長の紹介
会長 L森田 芳則
幹事 L森田 直樹
会計 L森田 滝代
第一副会長 L亀山 信二
第二副会長 L福井 正
第三副会長 L橋本 直
鹿島ライオンズクラブ沿革(歴史)
昭和36年 2月26日 | 北九州ライオンズクラブ(旧名・小倉ライオンズクラブ)のスポンサーにより結成 チャーターメンバー23名 事務局・・・祐徳稲荷神社内 例会場・・・第一・第三木曜日 例会場・・・割烹 清川 |
〃 11月12日 | 鹿島ライオンズクラブチャーターナイト・・・於 祐徳稲荷神社 |
国内 255番目 佐賀県内 2番目 地区 4番目 クラブ№24019 |
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昭和38年 3月22日 | 鹿島ライオンズクラブのスポンサーにより嬉野ライオンズクラブ誕生 |
昭和43年 5月29日 | 鹿島ライオンズクラブのスポンサーにより武雄ライオンズクラブ誕生 |
昭和52年 6月27日 | 鹿島ライオンズクラブのスポンサーにより杵島ライオンズクラブ誕生 |
昭和50年 5月24日 | 336-C・尾道因島ライオンズクラブ(旧名因島ライオンズクラブ)と姉妹クラブ提携 |
昭和38年 4月 1日 | 事務局を鹿島藤津地区医師会館内に移転 |
昭和43年 7月 1日 | 事務局を鹿島市新町 大和塗装内に移転 |
昭和45年 7月 2日 | 事務局を鹿島市新町660 田中章珠算塾内に移転 |
昭和52年 6月27日 | 事務局を鹿島商工会議所に移転・・・現在に至る |